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2007年3月28日 (水)

Hirokazu in 高知 その1

ワタシは住んだことはないが、
父も母も高知出身なので墓所は高知にある。

四十九日と納骨を兼ねて、その高知へ。
ワタシにとっては30年ぶりぐらい。ツマは初めて。

空港の名前はいつのまにか「高知龍馬空港」になってたが
ボンバルディア機の事故で予習済み。
宿はおじさん(母の弟)が手配してくれたし
(しかも宿代食事代全部面倒見てくれた)
お墓へ持ってくものやそのあとの食事の手配は
イトコ(といっても年がめちゃくちゃ離れてるので既に還暦)夫妻が全部やってくれた。
おかげでこっちはスケジュールを組むだけ。
ありがたいなあ...これも父母の人柄故か...
ワタシはツキアイ悪いので、自分の時にはこうはいくまい...

Kikyou

「帰ってきたよ」と宿の窓辺に置いてみる
...そのまま翌朝までほったらかし!

墓所は南国市にある。

「四国三十三観音霊場・第十二番」とあるが...

...四国って八十八箇所じゃん?と思って調べてみたら
お遍路で有名な「八十八箇所」とは別の、
最近になって出来た新ユニットらしい...

Daitokuji

子供の頃に来た時はもっと密教/中国風の門だった。
本堂とかも建て直してるらしい。
「小川光夫(法隆寺大工の西岡常一氏の弟子)さんに
やってもらってるんです」
と住職がウレシハズカシな顔で言っていた。

お墓をこっち(神奈川)へ移そうと思ってた母と
絶対高知じゃなきゃヤだった父との結論が出なかった為か
あるいは父のシュミなのか(墓参りに行くと母に言っときながら実際は行かずに遊び回ってたという証言もあるので、そういうコトには無関心だっただけかも?)、墓所はあるが墓石や納骨堂はない。
河原石がおいてあるだけ。

Bosho
とても現代の墓とは思えない様相...
以前は三つ位に分かれて石が置かれ、
「コレは誰それの..」と父から教わった気がするが、
いつしかひとつにまとめられていた。

当日朝、イトコのダンナと一緒に一足先に行って
骨壺を埋める穴を掘る。雨やんでよかったぁー!
昔の土葬のヒトが眠っている、と聞いていたので
幾分ビビリながら掘り進む。
土葬の骨にはあたらなかったが、
小さな骨壺を一つ粉砕してしまった...
後で母に聞いたら、父のお母さんではないかとのコト...

Ohaka

本堂で四十九日の法要を済ませた後、一同で墓所へ。
骨壺をビニールでくるんで穴に埋め、
読経の中、参列者が一人一人土をかけてゆく。
墓石はイトコ夫妻が
「オジサンにぴったりの雰囲気の石があったから」
と、自分とこのお墓のあたりで拾ってきてくれた石。
それに「雨よけの傘」をたてる。
こんなものを売ってるのも知らなかったが、
なんだかとっても土俗的だなあ...
と、感慨に浸ってしまった。

一人一人お線香をあげて、納骨終了。
来年にはフツーのお墓をたてる予定なので、
それまではこの、
何時代かわからないようなお墓が父の墓だ。
個人的にはコレで全然OKなのだが、
母はもうちょっとちゃんとしたお墓にしたいらしい。
でもまあ「故人の遺志をかなえてあげられた」と
しきりに言ってたからまずはひと区切り。
よかったよかった。


        **********

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