湖国のHirokazuその4:鉄道スクエアで天香に逢う
大正12(1923)年、朝鮮火災海上保険支配人の職をクビになり、再起を期した満州でも肋膜炎の悪化で入院、と転落の一途の尾崎放哉は妻 馨(かほる あるいは カオル とも)と別れ、京 東山 鹿ヶ谷の「一燈園」で「懺悔の生活」を始めた。
「懺悔の生活」とは具体的には
朝5時に起きて掃除をし、「光明祈願」と称する「おつとめ」をしたあと割り当てられた托鉢先(依頼主)の所へ行って朝食を頂き、1日ソコで働いて夕食と「風呂銭」を頂いて帰り、夜の「おつとめ」をして寝る、というモノである。
仕事内容は「草ムシリ/障子ハリ/大掃除/引ッ越シノ手伝/炭切リ/薪割リ/便所掃除、米屋ノ荷車引キ/広告配リ」等々。
肋膜炎を患うインテリ放哉にこのガテン系(まだ使ってるかな?このコトバ)な暮らしは堪え難く、数ヶ月後にはココを飛び出してしまった。
この「一燈園」の創始者が「西田天香」。
『懺悔の生活』はその著書の名でもある。
大正10年大ベストセラーとなったという。
天香に関しては放哉が彼を批判した文章しか読んでないので、たいしたヒトとも思わず、何の興味もなかったのだが、こうして突然目の前に現われるとなんだか親戚のおやぢに逢ったような気分になってしまうのであった。
それはさておき、ココは「長浜鉄道スクエア」である。
(伏せようがないので隠すのやめた)
現存する日本最古の駅舎である初代長浜駅舎と長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館の3施設からなる。
写真は駅舎である。
待合室の中をのぞくと・・・
コレはひと家族なのであろうか?
男女の距離が気になる。
訪れたのはもう夕方。駅長さんその他の写真は手ブレで載せられないのであった。
北陸線電化記念館にあったD51。
乗り込むと松本零士の好きそうな世界が…
運転席?に座って前方を見る。
左右どっちが運転席だ??(座った感じでは左っぽい)
日本で唯一現存するED70形、というコトだが、
「鉄」でないワタシには何の事やら…
鉄道スクエアと向かい合うカタチで
「近代日本庭園の最高傑作の一つ」という慶雲館が。
・・・が、時間切れで中には入れず!
出張便乗観光では入場時間の制約がキツいのである。
といいつつ、湖国ネタはまだ続く。
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コメント
鉄道スクエアにも行かれたんですね。
"長浜堪能"うらやましいです。
自分も慶雲館は入ったことが無いんですよ。
・・というより、自分は長浜堪能してなかったんで、いつか ちゃんと堪能したいものです。
投稿: なむきゅう | 2009年10月22日 (木) 00時38分
なむきゅうサン;
出張便乗としてはかなり堪能しました^^
でもまだまだ見残したところも多いので、また行きたいなあ、と思います。
もちろん今度は仕事ではなく純粋に観光で
投稿: Hirokazu | 2009年10月22日 (木) 10時58分