湖国のHirokazuその5:戦場篇
久しぶりに上陸した台風が通過したその日の午後。
ナゼかワタシは関ヶ原にいた。
近江へ向かう途中たまたまヒマになったのでちょこっと寄り道したのであった。
「ちょこっと寄り道」なのであちこち廻れる訳ではない。
笹尾山の三成陣地跡だけ。
思ってたよりも高低差があって、ちょっとびっくり。
ちゅうか、関ヶ原自体自分の想像より遥かにでこぼこしていたのであった。
陣地のふもとには「イタリアを代表する日本人彫刻家」というワケの分からない肩書きの作家の彫刻が…
ワタシにはコレが「いい」とは思えないんだけどなあ…
最初「トイレ?」と思ってしまった。
そそくさと関ヶ原をあとにして湖国へ入る。
ついでにちょっと寄り道して「姉川の古戦場」へ。
浅井朝倉VS織田徳川連合軍の合戦の跡である。
ついでにちょこっと足を伸ばして浅井氏の居城、小谷城へ。
安土の3倍以上はあろうかという高さのこの山城は「ついでにちょこっと」で済むモノではない。
中腹までクルマで登って、そこからひな壇状に連なる曲輪(近世城郭の「本丸」とか「二の丸」とかのよーな単位を曲輪=くるわ=という。「郭」と書いてくるわと読むコトも)が延々続く。あー、一日がかりで堪能したい!!
やっと本城の頂上へついた頃、同行してた「若者チーム」から
「大嶽に向かってまーす♪」と連絡が…
「大嶽」とは本城の奥、さらに100メートルぐらい高い山である。
「おおずく」と読む。山頂に小谷城の支城がある。
織田軍の小谷攻めの際にはこの大嶽がまず落とされたことによって落城に至る。
見とくべきポイントとは思いつつも
「下から見上げるだけでいいかなー」と日和ってたのだが、
泣く泣く急な山道をスーツ姿で登っていったのであった。
台風の直後なのに全然道が濡れてなかったのが幸いである。
山頂から見る琵琶湖は早くも夕暮れの趣き。
カモシカや熊がでるというこの山中で日が暮れてしまってはヤバイ!…休む間もなくいそいそと下山したワレワレなのであった。
信じ難いコトだが出張便乗観光湖国篇はまだ続く!
(いつ働いてたのだ??)
おまけ:三成陣地跡で拾ったクリ
もっと拾ったのだけどあとでよくみたらみんな虫食い。
植えたら育つかなー??
| 固定リンク
コメント
戦場跡地巡り・・・夜に行くと怖そうですね(^^;
でも一度は行ってみたいな。
今は戦国ブームらしいですよ。
私もアニメで(爆)ちょっとかじった登場人物を
色々思い浮かべながら拝見してました。
投稿: ROUGE | 2009年10月22日 (木) 12時08分
かつて血で血を洗う戦いが・・とか想像しちゃうと怖いですが
しっとりと静かな場所みたいですね。
ところでなぜ不思議な屋外オブジェが??
イタリアを代表するけど日本人なんでしょう?
肩書きの日本語が微妙・・・。
海洋堂もタワーも面白そうだなぁ♪
投稿: さくらん | 2009年10月22日 (木) 22時52分
ROUGEサン;
たしかに夜は行きたくない!!
ヘタすると熊よりヤバいものに出会ってしまいそう
・・・戦国ブームみたいですねえ。
サービスエリアのおみやげやさんにも「戦国」モノが急にふえて来ました。
さくらんサン;
関ヶ原合戦から400年を記念して行われた「関ヶ原石彫シンポジウム2000」という企画で作られたらしいです。家康本陣の方にも別の方の作品があるそうな・・・
それにしてもナゾな肩書きですよねっ!
投稿: Hirokazu | 2009年10月23日 (金) 05時34分
変な質問してもいいでしょうか? ダメって言われてもしちゃうんですが。
平地の古戦場ってあるんでしょうか?
武器の飛距離が短いというか、接近戦しかできなかった時代ほど、見通しが利かない場所や馬もビビる高低さのある場所で戦ってそうだなーと思って。
おまけがこんなに充実してるなんて、まるで最近の食玩のようです。
もちろんお仕事はさらに充実していたこととお察しします。
投稿: もも | 2009年10月24日 (土) 01時48分
ももサン;
平地の古戦場…うーむ。
たとえば姉川とか川中島みたいなトコは主戦場は比較的平らかなあ。もちろん付近の山とかを確保した上でのハナシですが。
日本の場合「会戦」といったタイプの戦闘はあんまりないですよね。そもそもだだっ広い土地なんてない狭い国だし。でも一応、最初に遠矢を射て次に槍同士でガチャガチャと、というルールのようなモノはあったらしいので、ある程度のバトルフィールドは必要だったと思われます。
「お仕事はさらに充実…」
・・・ゔっ!…も、もちろんですとも!
遊べる可能性のない時よりは遥かに「頑張って早く片付けるぞおっ!」というキモチに…いや、いつも頑張ってますけど
投稿: Hirokazu | 2009年10月24日 (土) 02時32分