Hirokazu in 奥三河 その1
このところ更新も訪問もすっかりご無沙汰で
もはや忘れられた存在になりつつありそうだが、
閉鎖した訳ではないので見捨てないでねっ!!
・・・今月は同じトコに何回も行ったり来たりというシゴトが続いていて、何度も書いてるよーにお花関連の作業を全くしてない。
で、お花をほったらかして行ってるトコには…
少し足を伸ばすと、こんな見事な土塁と堀が♪
・・・が、足もとには線路…
土塁を断ち切って通るのは飯田線。
城あとの真ん中に踏切があるというのも珍しいかも??
偶々やって来た電車を撮る!
時間差によるズレは、立体視するとどーなるかなー?
踏切を渡った先にある井戸。
なんか金魚でも飼ってそうな雰囲気である。
本丸のすぐ脇は滝のある「渓谷」!
ココに来るまでただの堀だと思ってたのだが…
というワケでココは長篠。
天正3(1575)年、武田方一万五千の軍勢の包囲に約五百人で耐え抜いた徳川方の城のあとである。
あちこちで見かけるこのギャランドゥなおやぢは
鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)36才。
ワタシが小学生のとき、夏休みの自由研究のネタにしてワイドショー風に発表したコトのある、思い出深いオトコなのであった。
ちなみにココでは普通(?)に磔(はりつけ)になってるが、ワタシは上下が逆の「逆さ磔」説に賛同。
対岸の山は「鳶ヶ巣山砦」。
武田勢の攻城拠点のひとつで、ココが奇襲によって陥落したコトが設楽原の決戦を促したともいうが、コレも思ってたより近い。籠城する側はずっと見下ろされててプレッシャーだったろうなー、と実感したのであった。
さて、救援にやって来た織田徳川連合軍と武田軍の主力決戦が行なわれた設楽原は…
クルマで通り過ぎただけ。
さすがにそこまで遊んでられる訳ではないのである!
周辺には武田方武将のお墓などが点在。コレは原昌胤の墓。
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コメント
お花の手入れも出来ないほど忙しい
行ったり来たりの出張、お疲れ様です!
でも車で通り過ぎただけ~と書いてるワリには
いろんなネタをしっかり拾ってる
Hirokazuさんはさすがだわっ!!
土塁や城跡地を線路が横断するのはなかなかの珍景ですね~!
投稿: さくらん | 2010年1月21日 (木) 23時10分
さくらんサン;
お花の手入れができないのは出張のせいではなく、
単にサボってるだけ!という説もありますが…
出張便乗じゃなくて純粋に遊びで来れたら、
もっとアレコレ廻りたいポイントがあるんですけどねー。
…でも、自力では一生来られなかったかも!?
投稿: Hirokazu | 2010年1月22日 (金) 07時25分