くさいくさいっ!…と、柏原など。
7月1日を画期とするよーに咲いたのはハイビスカスだけではなかった。
月下美人もまた、この日に1コ花をつけたのである。
が、あやうく咲いてるのに気づかぬままになるトコだった。
なぜなら、すでに部屋中にきっつーいニオイが充満していたからである。
それは、ココにも写ってるサンセベリアの花。
月下美人とも相通ずる、有機溶剤みたいな?ニオイが部屋中に満ちて、アタマがくらくらしてたのである。
サンセベと月下美人のダブル攻撃で気持ち悪くなって、写真だけ撮って早々に部屋に引きこもった。
もはや花を愛でるという段階ではないのである。
とはいうものの、今回はいろんな鉢で開花中なので、目立たずにある程度のびてきてようやく気づくコトが多いサンセベの花の、顔を出したばかりのヤツとかも見つけるコトができた。
あっ、そういえば月下美人は先月の初め、ついに剪定をしたのだった。
ざっくりと半分以下のサイズに切り戻してスッキリ。
ツマの「これ以上増やしちゃダメ」宣言はあるものの、
どーしても気になって、それぞれ違う切り方をしたサンプルを挿してみるコトに。
切り口を乾かしてから、というコトでほっといたら2週間ぐらい経ってしまった。果たして活着するのだろうか??
挿して1種間ちょっと経ったが、いまんとこ生きてるっぽい…
ふろく;載せそびれてた「出張便乗観光」その7
「最後の出張」の予定だった陸前の港町。
新沼謙治の出身地だけあって?演歌な匂いの街だった。
いや、自分自身が演歌な感慨にひたってたのかも。
…が、急遽別の場所に行くコトになり、ココでの「便乗観光」は中途で挫折。
「碁石浜」ぐらいで終わってしまったのであった。
そして向かった「今度こそ最後の出張」。
途中立ち寄ったのは織田家の城下町、柏原(かいばら)。
藩祖は信長の弟・信包(のぶかね)だが、
その後信長次男の信雄(のぶかつ)の子孫が大和から遷り、以後明治まで続いた。上の写真はその陣屋である。工事中なのが残念!
ちっちゃくてなんだか懐かしい感じのこの街、
お城の櫓はないが、「太鼓櫓」というのが街なかにある。
3階建てのくせに街のどこからも見えなかったぐらい小さいのだが、なかなかいいスタイルである。
「樹齢1000年ともいわれる」ケヤキの根が川をまたいで橋になってる「木の根橋」。
ガキンチョが釣り竿や網を持って木陰をわいわい駆け回るのが、映画のひとコマみたいなのであった。
ほかにも載せたいトコはあるが、長くなったので省略。
柏原を出て目的地の養父(やぶ)市へ。
・・・仕事先の目の前にある山。なんか城跡っぽい。
そういえば道路の脇に
「ようこそ朝倉氏のふるさと朝倉へ」
というカンバンが・・・
たぶん、おそらく、あの山が「丹波朝倉城」に違いない!
山のてっぺんあたりが平らになってたりするし、
きっとそうだ、たぶんそうだ!と仕事の合間合間に見上げていたが、結局登るコトは叶わなかった。
奇しくも織田の末裔の地を経て朝倉の先祖の地へやってきたのだなあ。
と 去年行った姉川の古戦場址を思い出したりするワタシであった。
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.....あ、いやあの...気が向いたら...どれか1コでも...
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こちらのシュミで勝手に削除しちゃいます。あしからず。
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