家に帰って以来2日続きで雨。しかも強風のおまけ付き。
いったいワタシが何をしたというのか?
・・・そんな逆境の中でも、
ジュリアルネッサンスはほころびはじめた。

気持ち去年より花が小さめの気がするが...
でも比較的病虫害にもあわずにスクスク伸びてるので
気持ちよく接するコトが出来るのだ。
目を背けたくなるよーな葉っぱのもいるからなー...

しかし、あの強風と雨のあと、ちゃんとキレイに咲ききるコトが出来るんだろーか??
第二部:忍びの国のHirokazu 第4回
前回はちょっと人格を疑われそーな展開だったので
今回は固めのテーマで...(訪問順ではないです)

崇廣堂(すうこうどう)。
津藩の藩校「有造館」の支校である。
現在、この模型の手前半分ぐらいが残っている。
模型の真ん中へんの丸っこい木に半分隠れてるあたりが
下の写真の玄関付近。

表門で入場料を払い(受け付けのオッサンは掃除中だったかなにかワカラナイが、庭の方からワタシの姿を見つけてあわてて窓口へ戻ってきた)、玄関へ向かって歩き始めると、受け付けのオッサンが追いかけてきて
「まず、こっちの資料館でビデオを観て下さいっ!数分で済みますから!」と懇願するように案内する。
入ると誰もいない。
ひとりっきりでビデオの開始ボタンを押してお勉強。
そうか、ココは昭和58年まで市の図書館として使われてたのか...(えっ?!)
更に発掘の様子を記したパネルなどを見てからようやく建物の中へ。


・・・いや、こんなのばかり見てた訳ではない!

採光を重視して四方を開け放てる様に建てられた講堂。
ココからは庭もキレイに見える。

他にも写真はあるが別の機会に...

崇廣堂のすぐとなりにある、
明治33年に建てられた校舎の残る上野高校」。
中には入れなかったが、校門わきに
”横光利一がここで学んだんだよ−”
というイミの石碑があった。
しかしワタシは横光利一は読んだコトがない!
むしろ同校出身の著名人として「おぉ!」となるのは
「平井堅」
「椎名桔平」 であろうか...
ワタシ的にはあと
「田畑 彦右衛門(元NHK解説委員)」
「榊 莫山(書家)」
「城戸久(建築史学者:彼の書いたお城の論文集はワタシの愛読書であった)」 あたりにグッと来るのであった...
この「明治校舎」より更に古いのが
お城の裏手のほうにある「旧 小田小学校 本館」。
こちらは明治14年の建築である。

入り口から入ると受け付けのおばちゃんは
控え室みたいなトコでお友達と談笑中。
気付いてもらえなそうだったので声をかける。
(あとから、スリッパもって二階まで追いかけてきてくれるぐらい律儀ではあるのだが...)
ここも入館者はワタシひとり。気楽なような落ち着かないような...

長くなってきたので端折るが、
教室の古い足踏みオルガンも弾けるし(ワタシの場合は「鳴らす」だが)、
ココはけっこうお気に入りの場所であった。
そして、現代の学校建築。
上野高校の隣にある、「上野西小学校」。

今の時代、現役の小学校にカメラを向けるのは
なにかと問題になりそうなのでちょろっとだけだが、
なんかココの校舎、スゴい!
中...見てみたかったなあ!
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